沿革
やまへいのあゆみ
- 昭和38年
- 長野県小諸市の現在地において創業者 塩川 亥六 が自ら栽培した果物 ・野菜の販売を始める
- 昭和39年
- ミゼット(三輪自動車)を購入
- 昭和40年
- ダットサントラックへ買い替え
- 昭和41年
- 鬼押出し園へ出店
野沢菜漬の製造販売開始。土産品としての野沢菜漬の始まり
軽井沢地区へ林間学校、会社の寮などに3000食/日の納入を行う - 昭和44年
- 軽井沢西武百貨店青果部門を担当
- 昭和45年
- 漬物工場を建設
野沢菜漬業界で初の県外作付 埼玉県深谷市(旧岡部町)
野沢菜漬業界の通年生産への始まり - 昭和46年
- 佐賀県杵島農協にて野沢菜栽培開始
通年生産体制確立 - 昭和47年
- 「野沢菜の千曲漬」が長野園芸特産振興展にて農林水産大臣賞を受賞
本社冷蔵庫建設20坪 - 昭和48年
- 工場増設工事
- 昭和49年
- 冷蔵庫完成40坪
野沢菜を土産物として販売地域の拡大(新潟県苗場町~群馬県安中市~神奈川県箱根町~長野県白樺湖)
販売用貸出冷蔵庫300台を数える - 昭和50年
- 上田西武百貨店対面漬物販売出店
- 昭和51年
- 株式会社 やまへい設立 初代社長に塩川亥六就任
お食事処「やまへい」小諸本店の母屋(古民家)を新潟にて購入 - 昭和52年
- お食事処「やまへい」小諸本店を開店
古民家にて飲食店経営のさきがけ - 昭和53年
- 平原工場を開設
佐賀県武雄市にて九州工場及び営業所を開設 - 昭和55年
- 石垣島大浜農協にて野沢菜栽培開始
- 昭和56年
- 台風被害に伴い台湾にて野沢菜の作付
コンピューターによる販売在庫管理を始める - 昭和57年
- 本社工場へ包装工程棟、冷蔵庫を増設し、平原工場製造部門を本社に移転
九州工場を独立採算制とし、有限会社 九州やまへいを設立 - 昭和58年
- 土壌改良材として「シェルホード(貝の化石の精製肥料)」を導入
白菜漬に関し、発がん性の指摘があったが、野沢菜漬の栄養成分などを公開 - 昭和59年
- 工場増築、擁壁工事完成
- 昭和60年
- 本社事務所棟、野沢菜漬込棟包装棟完成
小諸市へおもちゃ図書館及びビデオ寄贈
小諸消防署へ救急車寄贈
町内消防団へ消防ポンプ車寄贈
小諸警察署へ交通安全指導車寄贈 - 昭和62年
- 野沢菜の産地にて移動式漬込みを開始
野沢菜漬業界で初のJAS農林水産大臣認定工場となる
創業者初代社長 塩川亥六逝去 - 昭和63年
- 社長に塩川妙子就任
本社工場の増設工事完了
コンピュータシステム更新 - 平成2年
- 上田西武内の店舗を閉店
- 平成6年
- 製品出荷用冷蔵庫及び倉庫完成
お食事処「やまへい」小諸本店 茅葺葺き替え工事行う - 平成12年
- 野沢菜漬が長野県園芸特産振興展にて農林水産大臣賞を受賞
- 平成16年
- 野沢菜栽培管理から製品化までのトレサビリティシステムの構築
食品において 「顔の見える・・・」の最初の商品 - 平成20年
- 工場大改築、生産事務所稼働
目視検査機開発
自動包装機、洗浄機、ピュアスターMP10000TB、社内印刷機、折りたたみ機導入
塩川正徳 代表取締役社長に就任
塩川妙子 取締役会長に就任 - 平成22年
- 「野沢菜わさび漬」が長野県園芸特産振興展において農林水産大臣賞を受賞
お食事処「やまへい」軽井沢店開店 - 平成23年
- お食事処「やまへい」軽井沢店改装
- 平成24年
- 増資により資本金2000万円に